真実の生き方

どう生きるかどう生きるのが正しい生き方で価値があるのか。何のために生きるのか。
どう生きれば後悔しないのか。
生き方の問題は、考えれば考えるほどわからなくなる。
答えはあってないようである。

ただ言える事は、現在人間としてここにいるということ、
そしていつかは死んでいくということだろう。
それ以外は、わからない。

生きる死ぬという厳然たる事実がある以上、
そこに焦点をしぼって考えるしかないような気がする。

人間の幸せもそれがわからない限り、つかめないような気がする。
生と死を考えるこれが、真実の生き方の第一歩であろう。




なぜわれわれはこの地球にいるのか。なぜ地球は存在するのか。
なぜ宇宙は広がっているのか。すべての難問も根本的には、同じ問題のようにも思える。
原因は、ないことなどない。だけど、理由は要らない。

われわれが考えていく方向としては、事実を認識することであろう。
確かに生きている。理由がどうであれ、原因が何であろうと

確実に今ここにいるという紛れもない事実をしっかりと認識することだろう。
さらに重要なことは、死ぬことである。死ななければならないということである。

死ぬのは、極自然なことであるという認識を持つことであろう。
生と死のしっかりとした認識があれば、さまざまな問題はすべて自ずと解決していくはずだ。

西洋的な考えも東洋的な思想もあらゆる宗教もこの生と死を追求してきた。




死んだらどうなるのか。また生まれ変わるのか。星になるのか。
考えるのはかまわないが無意味である。死んだらではなくて、死は死だ。
煙になるぐらいの答で十分だろう。

死んで生き返ることもない。生まれ変わるのか。
生は生だ。生命の誕生はある。



今生きているという事実を認識するというのは、死んでからどうなるとかを
考えることではない。
今自分が置かれている状況、環境の中で自分に与えられた条件の中で強く生きていくことだろう。
目が見えなくても手がなくても歩けなくても不治の病でも強く生き抜くことにある。

原因は確かにある。でも、理由は要らない。
ただ強く生きること、死ぬ最後の瞬間まで生き抜くことだろう。
われわれは偉大なる 生命をもっているという実感が湧いてくるに違いない。
今確かに生きているという厳然たる事実をしっかり認識することが

真実の生き方の第一歩だろう。2007年元旦


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NEW真実の生き方1  2007年4月12日

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